信 仰 告 白

1993年10月27日の朝、私にとって大変辛い悲しいことが起こりました。
長女真理(仮名)が亡くなったのです。大学一年の19歳でした。
ストレスが原因ではないかと思われる、現在都会を中心に若い女性をおそう、
食べ物が食べられなくなるという心身症でした。
厚生省でも難病の一つとしている治療のとても困難な病気でした。

真理はキリスト教の高校と大学に行っておりました。
聖書もよく勉強していたようでした。

私は真理の死後、彼女にしてあげられなかった様々なことを思い、
後悔と自責の気持ちでいっぱいでした。
同時に「宗教って何だろう」と思いました。

もし、私が何かの宗教を信じていたら、
このような場合も、もっと違ったように受け留めることができ、
次なる道ももっと早く見付けることができたでしょうか? 
ずっとその事を考えていました。

一年間その事についてあれこれと思いめぐらせていた時、
常盤台教会との出会いがありました。
聖書の勉強を始めましたが、余りにもわからない事ばかりで
戸上先生や渡辺先生には非常に稚拙な質問をいくつもいたしました。
その度に先生方はいつも丁寧にわかり易く教えて下さいました。

☆  ☆  ☆

私はそれまでも殆どすべてのことに感謝しながら生活してきたと思います。
しかしいつも決まった何かに感謝するという対象物はありませんでした。
でも今は「神さま」という存在がはっきり見え、神さまに心から感謝することができます。

しかし、一つだけどうしても神さまを恨んでしまうことがありました。
それは「何故神さまは私たち家族から愛する子を奪われたのか」ということです。

真理を失ったことで、自責の気持ちと同時に
神さまを恨んでしまうこともあった私ですが、
いつか私はそれが感謝に変わりつつあるのに気付きました。
子供を亡くして感謝などということは普通では考えられないことでしょう。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

私は真理の生まれた瞬間から亡くなる瞬間まで、
19年と一ヶ月余りの成長の過程をすべて知っています。
神さまは真理を通して育てる喜びと楽しみを十分に与えて下さいました。
また、辛い悲しみに耐える力も与えて下さいました。

子供の一生を知って死んでいける親はそう多くはいないと思います。
私はこの世で真理に起こったすべてをこの胸にしまって死んでいくことができます。
そして天国では真理が私が行くのを待ってくれています。
これは、神さまから私へ与えられた最大のプレゼントだと思うようになりました。
このことを感謝せずにいられましょうか。

神さまは私の罪を赦してくださり、感謝する心にまで変えてくださいました。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 これからは私は主イエスキリストを神の子・救い主と信じ、
在るがままの私を慈愛深き天の父なる神さまにすべてお委ねして、
残る人生を豊かな気持ちで生きていこうと決心いたしました。



1995年11月26日




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